橈側手根屈筋と思われる筋肉が痛むのは、どう考えても一昨日、1キロ強のカメラとレンズを一日手放さなかったせいだ。(「筋肉ガイド」http://www.musculature.biz/

朝一で起きられなかったせいで、さして重要ではないが、できれば伝えたかった伝言を伝え損ねる。先日撮った写真をプリントアウトして送付してほしい旨、知らない人から伝言が入っている。来年は、最初から「写真コンテスト」を併催することにしたら、写真の好きな参加者も増えるんじゃないか、と思いつき、これは主催者に提案することにしよう。ちょっとした賞金・賞品くらいであれば、別に予算もかからないだろうし。

気分がダウン傾向で、特に理由もなく、いたたまれない。お願い系の電話を2件、いや3件かけなければならないが、明日でいいだろうか。いや、多分今日のほうがいいんだろうけど。

夢で、この間亡くなった父母の友人のおじさんと、隠れ家のようなバーで一緒に飲んだ。実際は一度お目にかかっただけの方だが、よく話を聞いていたし、感じのよい方だったから、「もう一度話したかったな」という願望が夢になったのだろう。その後は、知らない同年輩の女性から「あなたはいつまでたっても何もしないから、もうリンクしない」と面と向かって非難され、落ち込んだところで目が覚めた。

大枚はたいて追加レンズを買うくらいなら、そしてどうせ重いレンズを装着するなら、K20Dにしておけばよかった、と内心思っていたところに、父親から「店頭でE-520を触ってみたけど、店員から、ニコンの上級機を持つような人にはお話にならないって言われたぞ。K20Dくらいにしとけばよかったんじゃないのか」とダメ押し。写真って、素人は道具よりも目だと思うので、この程度持っていれば問題はないはずで、でも、FZ7からGX100に乗り換えて、がぜんたくさん写真を撮るようになったことを思うと、「お気に入り」の道具を持つかどうかは大きい。しかし、その「お気に入り」具合は、ヨドバシの店員さんに刷り込まれたに過ぎないというところもある(はてなフォトライフK20Dの作例は、結構好きだ)。

まあ、稼ぎが増えたら考えよう。(もうこの件は考えない)

お気に入りのおじさんと一緒に飲んで、くたっとしたいなあ、と妄想してみるが、まあそれは、亡くなった方と一緒に飲む程度の現実味しか備えていない。「誰かと会いたいような気がするけれど、実際問題として会いたい人はいない」という少し前までの状況と、なんら変わりはない。でも、出会ったことに意味があったと無理にでも思いたいから、何かを変えようと志向する。つまり、「変わる」ことは「誠意」なのだ。「どうしようもない私をあなたは動かすことができない」という低め安定の数多の出会いへの裏返しとして。こうして、しばらく会わない間に、「その人」は実在しなくなる。

とはいえ、物事が「ゆっくり、少しずつ」変わることもあり得るのだと、歳をとってからわかり始めた今日この頃ではあるのだけれど。モチベーションも、運命まかせじゃなくて、育てる必要があるのだということも。良い思い出は観賞用ということでスノードーム化させる傾向は、なかなか変えられないけれども。