かろうじて、三月はまだ中旬だったか。
3月に入ってから、すっぽかした用事が今日で5つ。といっても、義務的な用事に穴をあけたわけではなくて(もちろん)、「行けたら行きます」が全て行けなかったというだけのこと。

確定申告は、こどものお小遣い程度の所得税しか払わなかった。

ブルーなのは、一仕事済んだ虚脱感、各種仕事の評価が良くないような気がするから、飲みに行く相手がいないから、お金がないから、疲れているから、旅行する暇がないから、バイオリズム上、くらいなところ。一昨日、用があって各所に電話をしたら、みーんな既に飲んでいる最中で(6時前だよ?)、「どうしてこの人たちのうちの一人くらい、私を飲みに誘ってくれないのかしら」と、普段から一緒に飲むことなんかないメンツに対して、理不尽にもそう考え、かつ、軽く落ち込んだことだった。今日だって、取材なんかじゃなくて、おじさんと飲みに行きたかったよー。

先日来、どうしておじさんの良さがわかるようになったのか考えてみたところ、若い人たちが、若いということに特に何の感慨も抱かず、若さを垂れ流しで消費しているのに対して、老いを感じ始めたおじさんたちは、人生の快楽に貪欲である(人もいる)。多分それなりに苦労もして、それでも楽しく生きよう、という意志に加えて、弱者の痛みもある程度はわかり、周囲への影響力もある(人もいる)。50過ぎて、人生にスポイルされず、丸くなりすぎなかったおじさんたちのパワーというのは、若者には真似できん、と舌を巻いた。そのまま年を取っていけば、貪欲で元気なおじいさんになるわけだが、元気なおじいさんに色気を感じるまでには、さすがにまだ至らない。おじさんとおじいさんの境目に足を踏み入れたおじさんの色気がわかった、というところ(若者からおじさんに入りかけた若者には、あまり魅力を感じないのに)。

先日、上原ひろみが何かのPR番組に出ていて、自分のコンサートに来てくれるお客さんに対して、「お客さんの人生の大切な2時間を預かるわけだから、絶対満足して帰ってもらう」と言っていたのを聞いて、感銘を受けた。なるほど、あのパワフルな演奏は、頭で考えての意思もあってなわけだ。

空気を読む、とか、サービス精神、とか言う言葉にはムカつくばかりで、それは多分、「アナタは下僕として都合がいい存在でいなさい」という誰ぞの意志を感じるからだ。「自分も楽しみ、人も楽しませる」といえば、なんとなく響きはよいが、「もともとそういうタイプじゃないしなー」と思ってしまう。

上原ひろみの「絶対満足して帰ってもらう」には、「自分がホストだ」という覚悟がある。この一年、意識が切り替わる、という体験をいくつもしてきていて、例えばそれは、退屈な組織を自分が変えようとし始めたことだったり、なんとなく聞き流していた会合や研修を、取材に出るということで、ちゃんと理解したり人に伝わるように書こうと努力してみたりということなのだが、これまでいいろいろ「つまらない」とか「気が進まない」とかっていう感想の多かった自分というのは、つくづく「お客さん」だったんだなあ、と思わずにいられない。

まあ、一言で言えば、「主体性を持つ」ってことでしょうか。「自分が変える」と思うこと(傲慢化傾向が強まるだけかも?)。「アナタが人生の主役になる」とかいうのとは違います。主役じゃなくて、むしろ主催者ね。苦手でもヘタでも、おうちに呼んだと思って、最大限もてなす努力をする、っていうこと。

とか騙しながら、本来の出不精を圧して外に出て行くわけだ。私は、自分の中に「正当な理由」を作らなければ、何もできないのでございます。

どうも、昨年来の「外に出て行く流れ」から、このところ外れつつあるような気がするのが、実は一番の焦りのもとだったりする。飲み会のお誘いが何もない、とかね(いつからそんな飲み会が好きに?)。まあ、他人の都合や意図を気にかけるのは、もうやめたはず。やるべきことは山のように。

今日からちゃんと、ベッドで寝よう。