一昨日の句会は、結局行かずじまい。これで5か月連続。復帰できるのかしら? 昨日はいとうせいこう奥泉光の『世界文学は面白い。 文芸漫談で地球一周』出版記念トークイベントに行き損ねた。本の代金はもう支払ってしまっているので、青山ブックセンターまで受取りに行かなきゃならない。今日もなんだかお誘いがあったけれど、当然、というか、行かなきゃ行かないで済むことには今は行きたくないので、行かない。鬱というほどではない。(図々しい小煩い奴だと思われてるんだろうなあと気に病みながら)他人に「こうしたらどうでしょう?」ばかり言い続けた日々に厭いたので、とりあえずプライベートではしばらく何も提案したくない。

お昼は2週連続で地元の「マリナーラ」(http://r.gnavi.co.jp/g975700/)。休日でも3時までランチが頼めて、千円前後でサラダとたっぷりのカプチーノ付。グラスワインが150円。千円ちょいでワインとコーヒーが両方飲めるのは有り難い。パスタの量は女性にはちょっと多目かな。一見こじゃれているが、中に入ると適度に小汚いのも、私にとっては居心地が良い。

クリーニング屋さんに持っていった、一番高くてお気に入りのストールの真ん中に大きなかぎ裂きが出来ているのを発見して、ちょっとがっくり。3万円もしたのになあ。買ったのは一昨年の秋だったか。これを1枚はおっていると、とりあえずどこに行っても形はつくので、大変重宝していたんだけど。もう、晴れの場所には出られないにしても、普段用にはごまかして使いたいので、その場で繕いをお願いして帰ってきた。

仲の良い子と、そうでもない子と、先輩方と、電話で話すとこのところ妙に長くなりがち。仲の良い子はともかく、「この子って、相変わらず嫌な性格ねえ」と思いながら電話を切れないのはなぜ? 話しながら「この子のここが嫌」と、ぼんやり数え上げていたりする。徹底して相手の優位に立とうとするところとか。「私は誘ってもらった」「私は教えてもらった」(あなたは違うでしょうけど)と、人からどれだけ気にかけられているかを言い募るところとか。自分を差し置いて何か美味しい思いをしているんじゃないか、とたまに探りを入れてくるところとか。でも、この子と、もう一人、アルバイトで来てくれていた、出来が良くて何でも「自分がやりました」と上司に勝手に報告しちゃう男の子と、その2人が、思えば私を一番鍛えてくれたかもしれない。

そういう、自分の勢いを殺ぐ型とは、とりあえず関わらないようにする、という対処法でこれまで来ていたけれど、今後はでも、どうしても関わりたい場所にそういう型がいたら、被害を最小限に食い止める方法も考えなきゃならないんだろうな、とか思いつつ。

広報の講座に出たとき、比較的最初の講義が、「コミュニケーションの方法」だったのには、実は意表をつかれた。広報の目的は最終的に「人を動かす」ことだから、よく考えてみれば当たり前なんだけど、それまでの自分のやり方は、意識的にも無意識的にも「人にわかってもらう必要なんかない。結果が出れば否応なくわかるでしょ」というものだったから、そして「人にわかってもらうなんて柄でもないし、そんなハウツーっぽいことには関わりたくないし」と思ってもいたのだった。しかし、広報というのはつくづく、徹頭徹尾、人に説明して協力してもらう、という作業で、そして、この半年間の自分を振り返ったとき、性格は全く変わっていないながら、時間を守ったり(少なくとも守ろうと努力し)、感じよく振る舞おうとしたり、人にお願いしてみたり、なるべく飲みにいったり、していた自分がいたのだった。

ああ、別に性格を変える必要はないんだ、自分にどうしてもやりたいことがあれば、行動パターンを変えるだけのことなんだ、と自分で気づいたときは、ちょっと驚いた。なので、「わかってくれない」をデフォルトとして(私は外見と中味が激しく異なるのだそうだ。外見はハウスマヌカン(今はショップ店員と言うらしい)、では中味は?)、どうわかってもらうか、自分の望む結果になるように、どう周囲を巻き込んでいくか、という過程自体に、今はとても興味がある。実験だと思えば、多少の苦痛も耐えられるか?

もう一つ、その上の興味は、やっぱり「言葉の力」かな。実体のないものが、現実を動かしてしまう、ということが、とても面白い。ずっと変わらず興味はここにあったのに、どうして大学の卒論の時点でここに絞り込めなかったものか。

ということで、いろんなことが繋がって、比較的すっきりした気分でいる。いろいろ出かけていないのでちょっと遠出もしたいけれど、おうちでマニュアル作りでもいいか、的な。探しに出る必要が以前ほど無い。食い扶持の算段のためには、これから暑さに耐えて外に出る必要があるでしょうが。後は、私の勢いを伸ばす男、かな。